運命のレールを乗り換える音がした

運命のレールを乗り換える音がした
2020年12月3日 sofu

こんにちは。創風塾です。

今日のコラムは、

第1弾 退屈した心は人生を変えるサイン
第2弾 息つく間もなく次々とトラブルがやって来た
第3弾 運命のボトム〜江上の転機

の続きです。

創風塾塾長の江上鳴風の転機であり、
起業したときの話を伝えています。

江上も2~3回で終わらせようと思っていたのですが
思いがけず長くなってしまったそうです。

それでは早速。

 

 

妻のがんが発覚した
2004年5月11日。

このとき公私ともども
トラブルに囲まれ、最悪の状況でした。

しかし、後から考えると
不思議なことに、この日から
運命が好転し始めていたのです。

まず、紹介された病院「癌研」の
担当医が素晴らしい方でした。

丁寧に診察し、
疑問や不安にきちんと答える。

おだかやで笑顔を絶やさず
いつも患者さんに寄りそう姿勢に
私も妻も心から信頼を寄せていました。

この頃、山手線の大塚駅の
そばにあった頃の癌研そのものが
患者さんに寄りそうイメージで
築地にある国立の病院との違いを
感じていました。

検査入院で左胸にあった腫瘍を取り、
組織検査と転移を調べました。

腫瘍の大きさは
1~2cmほどでしたが
残念ながら左のリンパに
転移を起こしていました。

ステージ2b。

ちょうど真ん中あたりの
ステージです。

本格的な手術を
することになりました。

癌が分かったあと
またまた小さなご近所トラブルが
発生しました。

それを聞いたときに即座に
2つのことを決断しました。

マンションを売る。

妻と子どもを
彼女の実家に引っ越しさせる。

マンションのお隣りの方に
紹介していただいた不動産屋さんに
手伝っていただき、2か月後には
売ってしましました。

数千万の損金が出ましたが
命を考えれば安いものです。
まったく躊躇はありませんでした。

ぜったいに彼女を失いたくない、
と思ったからです。

そして、当時住んでいた
江戸川区から直観で決めた
横浜市港北区の街に一人で
引っ越します。

手術・入院、抗がん剤治療の間、
週末だけ千葉の木更津の、
彼女の実家に通いました。

 

三人の運命が
大きく、大きく動き出しました。

 

不思議だったのは、
彼女の顔が癌なのに、
まぶしいくらい
光り輝いていたことです。

ずいぶん後で聞いたのですが
癌で運命が動き出すと直感して、
ものすごく希望がわいたのだそうです。

癌が分かって、
本人は光が見えたと。(笑)

でも、確かに、
そうだったのです。

自分に関していえば、
何年も何年も、
目的も目標もなく、従って夢も描けず、
超ストレスフルな日々でした。

そのことが
このような事を引きよせたのだ。

強く、そう思いました。

癌は自分の責任だと思いました。

自分の生き方を変えなければ
また同じことを繰り返してしまう。

 

会社を辞めよう。

 

それは、ぼんやりと
何年もの間、頭の片隅にあったのですが
初めて本気のテーマとして
浮かび上がってきたのです。

でも、どうやって生活する?

どうやって暮らせばいいんだ?

当時、私は職種的には
クリエイティブ・ディレクターという
クリエイティブを統括するポジションで
仕事をしていました。

現場監督のようなもので
自分の下にデザイナーや
アートディレクター、コピーライター、
CMプランナーなどのスタッフが居ます。

長い間、そういうチームをいくつか
率いて仕事をしていました。

しかしクリエイティブ・ディレクターとして
独立する、というイメージも
具体的なやり方も
まったく思い浮かばないのです。

何カ月もの間、考えていました。

その間、彼女は手術を
終え、帰宅し、
通院しながらの抗がん剤治療が
始まっていました。

娘は木更津の、
妻の出身小学校に転校していました。

 

秋の、ある日のことです。
11月ごろだったかと思います。

突然、コピーライターに戻る、
というアイデアがひらめいたのです。

 

私は、もともとクリエイター生活を
コピーライターとして
スタートしていました。

実際に、仕事では
アイデアを詰めたり、仕事の現場で
コピーを考えてはいたのです。

しかし、
クリエイティブ・ディレクターという職種に
10年近くついていることで
自分にコピーライターという
選択肢があることを忘れていたのです。

もう、まぬけとしか
言いようがありません。(笑)

 

コピーを書けば
暮らしていけるかもしれない。

 

そう思った瞬間に
自分の中に電灯がポッと
ともったような気持ちがしたことを
覚えています。

 

希望が、わいたのです。

 

スーパーのチラシでも
月に10本も書けば
家族3人は生きていける。
暮らしていける。

それでもダメなら
タクシーの運転、宅配の仕事、
何でもやって家族を養おう。

そう決めました。

 

2005年2月。

抗がん剤治療が終わり、
かつらをかぶった妻といっしょに
横浜での家探し。

10か月ぶりに家族で暮らそうと
さんざん探したのですが
なかなか見つからない。

で、結局、
当時私がひとりで住んでいた
小さな2DKのアパートに
家族三人が住むことにしたのです。

そこに引っ越し、
彼女に、会社を
辞めることを伝えました。

 

「辞めても、いい?」

「いいよ。」

「辞めたら貧乏するかもしれないよ。」

「大丈夫!」

「大丈夫?」

「うん、私は貧乏しても
誇りを失わない自信があるから、
辞めてもいいよ。」

 

このセリフには参りました。

ああ、一生頭があがらないわ。
こんなカッコいいセリフをはかれたら。

本当にサッと受け入れてくれたのです。

後で聞いたら、彼女には、
この時、楽しくなるイメージしか、
なかったそうです。

 

2005年2月10日木曜日
辞表を提出。

2005年4月15日金曜日
出社最終日。

 

妻の癌が発覚してから
まだ1年もたっていません。

家を売り、
引っ越しをし、
癌の手術をし、
会社を辞めました。

ガシャンと転轍機の音がして、
人生のレールが
大きく大きく切り替わったのです。

最終話へ続く・・・。

 

 

いかがでしたか。
江上鳴風の転機話だけでは、物足りないと感じた方は、
下記のリンク先から、今週のヒマラヤFMもお聴きください。

「経営」というと、会社勤めの方は
すこし遠い話だなと感じるでしょうか?

今週のヒマラヤFMで伝えるのは、
「自分」を「どう経営するのか」です。

なぜ、そんな話を持ち出すかというと、
「自分を経営する」という視点を持たないと
生きていくのがたいへんになる時代が
そこまでやってきていると思うからです。

50代前半から下の世代の方は、
ぜひお聞きください。

▼ヒマラヤFM エガミンのブランディング講座

第167回「自分を経営する」
https://www.himalaya.com/ja/player-embed/99846/123955499

 

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