運命のボトム〜江上の転機

運命のボトム〜江上の転機
2020年12月2日 sofu

こんにちは。創風塾です。

今日のコラムは、

第1弾 退屈した心は人生を変えるサイン
第2弾 息つく間もなく次々とトラブルがやって来た

の続きです。

創風塾塾長の江上鳴風の転機であり、
起業したときの話を伝えています。

それでは早速。

 

 

広告代理店のクリエイターとして
多忙ながらも、人生の目標や目的が見えずに
鬱々としていたころ、
いくつものトラブルが
セットでやってきたのです。

 

神様からの
豪華トラブル詰め合わせセットです。(笑)

 

有無を言わせずドカンと
やってきましたが、
その最後のトラブルが
妻のがんでした。

忘れもしません、
2004年5月11日のことです。

ゴールデンウィークが
終わった翌週の火曜日でした。

 

その日は、
CM制作会社の幹部2人と
千葉のゴルフ場に居ました。

前々からゴルフを約束しており、
その日は三人でコースを
回っていました。

当時の部署は、大手代理店の
取締役直轄でもあり、
そうしたお誘いが多かったのです。

ゴルフそのものは
嫌いではありませんでしたが、
感覚としては仕事でした。

割り切って
出かけていました。

前半が終了し、
クラブハウスで昼食を
採っていたときのことです。

ふだんはそんなことは
しないのですが
本当に何気なく
自宅に電話をしたのです。

いわゆる虫の知らせ、
かもしれません。

そうしたら
電話の向こうで妻が
泣きだしてしまったのです。

私はてっきり、
ご近所トラブルで
また何かがあったのかな
と思いました。

しかし、妻の口から
飛び出したのは
意外なひとことでした。

「私どうもがんみたい・・」

「乳がんの定期検診の結果で
がんだの疑いがあるって言われたの」

血の気が引く、というのは
こういうことを言うのだな
と思いました。

それでも、
深呼吸をして
自分に落ち着いてと言いながら
妻に状況を聴きました。

話の内容から
がんの可能性が高い
と判断しました。

 

クラブハウスで
食事をしている二人の所に戻り、
事情を話しておわびし、
急遽、家に戻ったのです。

当時購入して住んでいた
東京・江戸川区のマンションから、
妻と学校から戻った長女を連れて
駅前のクリニックに向かいました。

マンモグラフィの読影を担当した
医師のクリニックです。

デスクの上にある
X線の写真には
左の胸に1cmほどの白い塊が
写っていました。

その先生は
丁寧に説明してくれました。

「十中八九、がんだと思います。
もし良性だとしても取ってください。」

腹はくくっていましたが、
医者の顔には確実にがんだと
書いてありました。

 

前年には
自分の父親ががんでなくなり、
その5年前には
彼女の父親もがんでなくしていました。

彼女のがんは、もう一度
喉に突き付けられた
ピストルのようなものです。

「目の前が暗くなる」
という言葉がありますが
あの言葉は比喩ではありません。

 

実際のからだの変化を
語っているのだ、
この時、初めて知りました。

視界に1枚フィルターが
かかったように
脱色して見えるのです。

文字通り、
目に紗幕がかかったようでした。

なんと2ヵ月ほど
この状態が続きました。

そのとき
分かったことがあります。

それは、
自分にとって彼女がどれほど
大切な存在か、ということ。

結婚も11年目に入り、
日々をたんたんとすごす中で、
ふだんは、そんなことを
考えたこともありません。

しかし、その時に
こころの底から、
この人を失えないと思ったのです。

 

1週間後。

組織検査の結果が出て
がんが確定しました。

手術のために
紹介される病院も決まりました。

当時、
山手線の大塚駅そばにあった
がん専門の病院「癌研」でした。

 

そのとき
決めたことがあります。

 

妻を、絶対に救う、
絶対に治す、ということです。

いま思えば何も目標がなく、
流されるままだった自分に
妻をがんから救う、
という強烈な目標ができた瞬間でした。

ネットを使って
時間があれば
朝から晩まで調べまくりました。

乳がん患者さんのホームページ、
医師や病院のサイト、
患者の会のサイト・・。

何十というサイトを
のぞき、メモを取り、
また病気のことを調べる。

そして、行きついたのが
都庁に勤めながら
乳がんを克服した方の
ホームページでした。

情緒的な
ホームページが多い中で、
その方はさまざまな情報を
きちんと整理して分かりやすく
のせていたのです。

思わずメールを送って
いまの状況を知らせて、
紹介される病院の医師で
もっとも良い先生を
教えてくれるよう頼んだのです。

 

すぐに返事がありました。

がんサバイバーから
大丈夫だから落ち着いて
治療しましょうね、という
メッセージ。

本当に、ありがたかった。

 

「癌研」で
おすすめの医師の名前が
書かれてありました。

当時、彼女からのメールは
この状況の、唯一の突破口のように
思えてなりませんでした。

そして、
実際にそうだったでのす!

 

当時も、いまも、
「がん研」の乳腺外科は
乳がんに関しては日本でも
ダントツの実績のあるところです。

その中でも特に患者に寄り添う
という評判の先生に、担当医に
なっていただくことができたのです。

 

あとから振り返ってみて思ったのは、
妻のがんが発覚した
2004年5月11日が運命の底、
ボトムだったということです。

 

公私ともども
トラブルに囲まれ、
最悪の状況だったのですが、
実は、このがんが発覚した日から
運命が好転し始めていたのです。

 

人生の不思議を感じます。

 

さらにさらに長くなってきましたので、
再度、次回につづきます。

 

 

いかがでしたか。
江上鳴風の転機話だけでは、物足りないと感じた方は、
下記のリンク先から、今週のヒマラヤFMもお聴きください。

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