ルター、ゲオルギウ、開高健から貰った言葉

ルター、ゲオルギウ、開高健から貰った言葉
2019年12月25日 sofu

★ルター、ゲオルギウ、開高健から貰った言葉【江上鳴風メルマガ155号】より

 

 

いつも、お読みいただき、

ありがとうございます!

 

ブランド戦略コンサルタントの

江上です。

 

 

 

ハッピー・ホリデイ!

 

クリスマスの夜だから

というわけでありませんが。

 

ひとつの言葉を、あなたに

プレゼントしようと思います。

 

 

 

今年の3月末、

私はイスラエルに居ました。

 

イエスの足跡を辿る旅に

参加したのです。

 

私は別にキリスト教者ではありません。

わが家は曹洞宗ですし(笑)

 

しかし、理想を追い求める

生き方には惹かれるものがあります。

 

 

 

30歳近くまで大工として生きた

イエスが教えを説いたガリラヤ湖周辺は

いまでもひなびた雰囲気の漂う田舎です。

 

彼が亡くなってキリスト教が

正式な宗教と認められ、

権威となるにしたがって

 

キリスト教は本来の教えを

離れていきます。

 

いわゆる世俗化が起きたのです。

 

キリストからのち

その約1500年後。

 

ドイツの

マルティン・ルターが95条の論題と題して

ローマ教会に抗議の声を発します。

 

世にいう宗教改革の始まりです。

 

その彼が発したと言われる言葉があります。

 

 

 

たとえ明日、

世界が滅亡しようとも

今日私はリンゴの木を植える。

 

 

 

この言葉が広まったのは、

ルーマニア生まれの作家

ビルジル・ゲオルギウが、

小説「第二のチャンス」(1952原著)の

ラストに、マルティン・ルターの言葉として

書いたからだと言われています。

 

邦訳は正確に記すなら

「たとえ世界の終末が明日であっても、

自分は今日リンゴの木を植える」

(1953/筑摩書房第二版・谷長茂訳より)です。

 

私の手元には間違って

買ってしまった2冊の

昭和28年版のゲオルギウの

「第二のチャンス」があります。

 

本棚から引っ張りだすと

361ページにこの言葉がありました。

 

 

 

ただ、実際には、このことばは

マルティン・ルターが

発したものとは確認されていません。

 

私が知ったのは、

実はゲオルギウの言葉として

ではありませんでした。

 

 

 

作家の開高健が好んだ言葉として

彼の著書で知りました。

 

開高は生前にゲオルギウを読んだか、

あるいはどこかでこの聞きかじったのだ

と思います。

 

元のことばに少々の改訂を施し、

色紙に書くことがありました。

 

それが、ここに掲げるフレーズです。

 

 

 

明日、世界が滅びるとしても

今日、君はリンゴの木を植える

 

 

 

 

いまのサントリー、

当時の寿屋の

優れたコピーライターでもあった

開高のセンスのなせる業なのか、

先の訳文より、こちらの方が

こなれてリズムがいいと感じます。

 

そして、私たちに

問いかける言葉になっています。

 

私は、この言葉を、

20代のころから

厳しい時期をすごすたびに

思いだし、口にしてきました。

 

 

 

そして。

 

ビジョンとは何か。

 

生きるとは何か。

 

 

そう自分に問いかけるときにも、

私は、いつも、この言葉を

思い浮かべます。

 

そして、リンゴの木を

イメージします。

 

 

 

丘に植えられた

一本のひ弱なリンゴの苗と。

 

寡黙にその苗を植える

農夫のような誰かを想像します。

 

私の手の中には、

私たちの手の中には、

いま植えるべき

リンゴの苗木があります。

 

あるはずです。

 

鍬を取り、長靴をはき、

あなたの目指す丘へ向かってください。

 

 

 

 

メリークリスマス!

 

今年1年、お読みいただき、

ほんとうに、ほんとうに

ありがとうございました。

 

そして、素晴らしいお年を

お迎えください。

 

 

 

 

 

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