こんにちは。創風塾です。
創風塾塾長の江上鳴風が語る
パーソナル・ブランディングのヒントをお届けします。
今日のコラムは、こちらの意識とセンサーが死ぬほど大事の続きです。
まだお読みになっていない方は、
合わせてお読み下さると、より人生の偶然と必然についてのヒントを
受け取れると思います。
それでは早速。
★
前回お話しした意識とセンサーが死ぬほど大事の続きです。
人生は、偶然と
必然の渦でできています。
トイレの偶然から。
その半年後に退職。
コピー講座の大阪校へ
入校します。
で、成績良かったです。
180名のクラスでしたが
上位数パーセントには
入ってたんじゃないのかな。
ほぼ目測ですが(笑)
でも、半年で
10回コンテストがあって
後半はほとんど優秀か最優秀を
取っていました。
偉い!
自画自賛!
ここで、
今でも付き合いのある
大手広告代理店Hの
辣腕クリエイティブディレクターに
見染められて、、、、、
なぜか大阪に残るのではなく
東京行きを決めてしまいます。
まあ、本当にプロで
やれるのか?やれないのか?
ダメならダメで
話は早いほうがいい。
だとすると広告の本場で
ぐちゃぐちゃにもまれたほうがいい。
じゃあ、東京だ。と。
ほとんど躊躇無く。
3月愛知県でレコード店を退職
4月コピー大阪校入校
5月大阪へ引越し
7月東京への引越し決定
9月東京で引越し先探し
10月東京へ引越し
11月新橋の会社にコピーライターで入社
ほんの偶然で
雑誌を見て知った職業に
「なる」と決めて。
1年後には東京で
「なっていた」。
本人はもちろん、
周囲の誰も、
そんなこと1mmも想像もしてない。
だけど決めたんで。
動いたんですね。
何の迷いもなく。
たしか貯金70万あったけど
失業保険も合わせて食うことにして。
コピーライターになるまで
一切働かないと決めて
一切合切そのお金だけで、、、、
すべての引越しと学費と
食費と交際費と家賃と銭湯代を
まかなったわけです。
コピーライターにすべこんだとき
残金は6万円でした。
もう、ぎりぎり(笑)
偉い!
25歳のエガミ!(笑)
思い立って、ほぼ1年。
愛知県の田舎町の
ミュージシャン落ちこぼれ小僧は
東京の新橋の小さな広告代理店の
新米コピーライターになっていた。
いま思っても物凄い
行動量だったかも。
最初は愛知から
大阪まで名古屋鉄道と
近鉄を乗り継いで
片道5時間で通ってたからね。
夜はもちろん、
私のスィート「カプセルホテル」で
2連泊。
昼は牛乳とアンパンで
堂島の大阪府立図書館で
広告関係の本を読み、
筆写しまくってました。
ついでに目についた
雑誌の小さな広告賞に応募。
これも無事に獲得!
偶然を必然にしようと、
いま思えば行動量が、
ハンパなかった。
当たり前だけど、
課題には朝方まで取り組んで
キャッチ100本。
隙間時間には
課題のことばかり
考えていました。
ダメだったら
実家の長崎に帰るしかなかったから。
おっさんが昔の自慢話、
し始めたら危険な証拠。
ぼけるか、窓際か。
どっちも、か。
自慢のオンパレード。
だいぶ話になっていますね(笑)
でも、云います。
「圧倒的な行動量だけが
人生を変える力を持っています」
いいですか、
「圧倒的な行動量だけが
人生を変える力を持っています」
何度もいいます、
「圧倒的な行動量だけが
人生を変える力を持っています」
みんな行動しないんだもの。
特に40代以上になると。
変化が怖い。
変化が面倒。
偶然(これを幸運の女神といいます)を
必然(これを成功といいます)に
変えるのは「行動」だけです。
他には何もありません。
近道はないんだよ。
魔法もないんだよ。
いまカツどんを食べたいというときに
蕎麦屋とかカツどん屋に行かずに
カツどんを作る家族もいない状態で、、、、
一切行動することなく
カツどんを食べる方法があったら
教えてください。
念じたかったら、
念じてください。
口を開けて親鳥がえさを
運んでくるように
幸運を待っていても
そこには何もやってきません。
引き寄せ?
そんなもの役に立つかよ。
それが役立つのは
描いて「行動したとき」だけ、
です。
あなたは、
きょうどんな「行動」を
しましたか?
さて、、、、、、
何をしたかな、、、、、、
以上。
★
いかがでしたか。
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